こう考えることはできないだろうか?
ファッションをチャレンジする、、、という筋トレだ。
日々、生活の中で、他に圧倒的にセンスを鍛えれるものがあるだろうか?
素材感、サイズ感、色彩感、自分の感覚に対する人が見た時の感覚の違い、
僕は見当たらない
ゆえに僕にとってファッションとはセンスを鍛えれる物事でもある。
教科書みてーなロジックは要らない
転ばぬ先の杖は窓から放り投げる
つまんなくなるだけ。
楽とは退屈なのだから
何か退屈であるならば、苦の道を行けばいい
そりゃあ盛大にコケて笑われる事もあるだろう、
そんな時は笑う者と、いい「コミュニケーション」がとれているのだから一緒に笑ってしまおう
そもそもファッションに正解と不正解はないのだから
( 実はカット等にも正解と不正解はない )
僕が勿体ない!残念だ!
と思う事は、教わり、学んでしまうことで、生まれつき持っていたセンスが出せなくなってしまうことだ!
これはいろんな事に置き換えても通ずる事で、
先輩美容師としてカットを教えたりする時にも僕がいつも もったいないなーと思っていたりすることで、
教わってしまうことで、正解も不正解もない世界なのに、教科書通りに切ることしかできなくなってしまうのです
だから、僕の教え方はまずは何も教えずにスタートする。
するとどうだろう、
「 できません 」!
と投げ返してくる人はほとんどいなくて、
見様見真似、感、センス
やったこともないし、やり方もわからないのに、思うがままにチャレンジし始めるんです。
ココが最も大切にしたい部分なんです!
事前に課題に対して調べてきた人。
なーんも準備してないけど、バッサバッサ切っていく人
わかんない、怖くて全然切り進まない人
見たこともないサーカスのようにアクロバティックになりだす人
そう、これがそれぞれのスタート地点であり、大切にするべきデフォルトなんです。
教わったことのない世界で
見たこともないような斬新な切り方を見せてくれる
実に素晴らしい。
教わったことのない、正解、不正解のない世界では最も大切に育ててほしい部分なんです
そんな見たこともないような斬新な切り方で切った髪型を好んで気に入ってくれるお客さんがいるかどうか? なんて先輩にはわからないのだから。
教科書通りに教わってしまう事の恐ろしさは、「思考停止」に陥る事で、自分で考えて工夫して作る事ができなくなる
教科書という正解を導き出す世界では、正解というゴールに到着した瞬間に思考停止となる。
ココがよくない点なのです。
ファッションもそう。
正解も不正解もない世界と知り、
正解不正解がないことでチャレンジし続けられるし、チャレンジし続けるものに待っているものは人より優れた点となる
自由な世界
ただし、自由な世界とは最も難解な世界でもある
ネットに繋がり、見て、読んで、わかったような気になる事程危ういものはない。
前に思ったことでもあるけど、そうやってチャレンジする事もせずに、頭でっかちになっていった姿が宇宙人👽のこの姿なんじゃないかと。
チャレンジしないから動きがないから身体は痩せ細り、ネットに繋がる事で知識だけが膨大となり、頭が大きく進化。
人間の未来を予測しているかのようだ
んー。今日も脱線具合がハンパないぜ。
こんな時は大体絶好調だぜ
髪もファッションも、鍛える様に楽しもう!
RemastaR オンラインサロン beyond the shelter

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